昭和51年11月21日 特別奉修委員会
昨日、久留米の佐田さんのところのお婆ちゃんが、病院の先生がまぁ見えるわけで、見えてからお婆ちゃんと、その先生とのまぁ対話のなかから、もう信心もあんまり信心のし過ぎはいけませんのやちいうてから、お婆しゃまがいいなさったって。そしたらそのお医者さんがいわれる事が、冗談のごと信心ちゃもうどがしこしたっちゃよかばの、ち。もう信心ちゃあんた心磨くとじゃろうもんち。心磨きのためなら、もうどげん信心したっちゃよかばのち。
してからその、まぁ本当に私がいわんでん、もう本当にあのお医者さんを通してから、まぁそのこと一言二言じゃないですけれども、その話ば聞きよってからもう素晴らしい神様の御演出に、驚いたと言う様な話がありましたがね。お互い本当に信心ちゃもう、あの心磨くことばの。ただおかげ頂かんならんけんでて打ち込んだらね、こりゃやっぱ間違いです。そりゃもうおかげはそりゃもう、本当に昨日からあの宮崎からずっともう続いていますお参りがね。
それもう一人ひとりのお話を聞くならもう、やっぱお礼参りしてこにゃおられんごたるおかげ頂いておるです、皆んなが。それだからあのうそれはもう、あのいうなら景品のようなもんでね、もう本当に信心ちゃ本心の玉を磨くもんだ、ということにいっちょ心を決めて定めんとね心行も出来ません。昨日一昨日でしたか、あのう修行生の方が私達がお食事させてもらうところの、あの茶の間にストーブを焚いとったところが。
そのちょっと詳しくないとがしとったもんだから。あのう高橋さんがちょっと入られた時にはもう、くすりはすりがねばいしてもうどんどん燃えよる中が燃えよったげなたい。それでもうあの狭いところですからもう、そのうこう白でしょうが全部、あのうもう真っ黒になってしもうて、もういえんがもうそこここで、それであのうまぁあのう真っ黒になっておりましたら、うちのあの早川さんがそのペンキやら、あげんとの専門だそうですたい。この人も何でん出来る。まぁたまがるです。
もう魚の料理やろうが漬物の漬けじゃろうが、ここんところのあのうドアがこりゃもう専門的てなからなければ出来ないドアです。どうかなっとったんです。それでちょっと自分であのう買うてきて。昨日は大きなあの、そのうサッシの大きなどうの、あの車替えとかね、もうこん位もちょっとまぁ器用な方おらんのちゅう位にこの頃、あのうまぁ色んな意味にお役にたたれるんですけれども。
もう一日の間に綺麗に壁を塗りなえちから、障子まで張り替えて、そしてもう掃除も繁雄さんと2人で全部の道具をね。一緒につるんでもう見違えるごと部屋が美しゅうなってきた。だからあの心を磨くということはね、例えばそういう時でも、あんたがぐちゃな事するけんでこげなことないち、決してそうじゃないですばい。もうその夕方にはもうそこで夕ご飯頂いてもよかごと、綺麗になっとるですからね。
だからそればってんあんた金が掛りましょうもん、と言うたらもう信心じゃないです。はいそりゃばってんあんた手間も掛るし、お金も掛りましょうもんち、それそれば言うたらもう信心じゃないです。心を磨くと言う事はね、だからその時点であのどうしてからと言う事はないです。どうしてからもう心磨きにはなってならんです。ですからねあのそしてなら金かかるの、手間が掛かるのと言う事はもう自分で倍出すごとというね。
もう神様の御物神様がだして下さる。神様がして下さる自分が、金だしてこうのあぁのと言う事の観念のある間は、金が掛ったり掃除したりすると。もう神様の方に恨みを呼ぶごとなって来るですからね。もう信心はどこまでもやっぱ、本心の玉を磨くものぞやというこれに一本に、何時もしぼっとかんと、いよいよの時にどうしてと言うたり、もうあまりその言う事になってくるわけですからね。
もう本当にいよいよ信心は本心の玉を磨く。そんなら、もうどがしこ落ち込んだったちゃよかというわけですね。いわば肯定しないいわゆるこだわらない、信心。もう信心な本心の玉を磨く。どういうことであってもそのことを材料になされていきゃいいとですけんね。それにおかげまでこんなにシャープに供のうておりますんですから。いよいよ有り難い事ですよね。